木村忠正の仕事部屋(ブログ版)

ネットワーク社会論、デジタル人類学・社会学研究者のブログです。

グローバル化の進展と文系大学院教育

この拙文も、立教大学社会学部、大学院社会学研究科に関心のある方、受験生、在学生、卒業生を念頭に書いています。この点、予め、ご承知おきください。

 4年前に東大駒場から立教社会に移る際に考えたことを、改めて振り返り、前回の記事では、学部教育について、国立系大学が直面している課題を書きました。今回は、大学院教育・研究について、考えてきたことをまとめてみたいと思います。

 図1は、2010年度の18歳人口を基点として、4年制大学入学者、4年度後(2014年度)の修士(博士前期)課程、専門職課程入学者、6年度後(2016年度)の博士後期課程入学者の概要をまとめたものです。  

 

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 図1 2010年度18歳人口を元にした大学進学率・大学院進学率の模式化

中央教育審議会・大学分科会・大学院部会(2017年5月30日)「大学院の現状を示す基本的なデータ」スライド3

 

 2010年度18歳人口122万の内、およそ半数の62万人が4年制大学に入学する計算です。この年齢集団で修士・専門職に入学するのが6.8万人(およそ18人に一人)、博士入学者が0.9万人(およそ130人に一人)。もっとも、社会人も加わっており、社会人院生数も含めれば、修士・専門職入学者は7.9万(およそ15人に一人)、博士入学者は1.5万(およそ80人に一人)です。今後も、社会に出てから大学院教育を受ける人たちが同様に出てくると考えれば、ある年齢集団が40歳、50歳になるまでには、社会人数を含められると判断し、これ以降、社会人を含めた数字で議論していきます。また、データは文系、理系両方を含みますが、拙稿の議論は、文系学術活動(+文系基盤の複合・学際系研究)を念頭においていることも予めご承知おきください。

 表1は、これまでのデータをまとめ、2010年代と比較するために、1990年前後を併記したものです。1991年度から「大学院重点化」が実施されたため、1991年度修士(当時は専門職大学院は存在せず)となるよう、1987年度18歳人口を基点とし、大学・短大入学者、1993年度博士入学者数をまとめました。

 

表1 2010年度=18歳、1987年度=18歳を基点とした大学、短大、修士、博士入学者数推移(学校基本調査、人口統計)

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 今から30年ほど前(1987年度)、18歳人口はまだ拡大期にあり、4年制大学入学者率はいまだ4分の1、女性を中心に短大進学も相当多かったことが分かります。男女別に4年制大学入学者率を算出すると、男性35%に対して女性13%、女性の短大入学者率22%程度で、4年制大学・短大を合わせると、男女とも35%程度が進学している計算となります。高等教育の大衆化が進展してきていますが、修士入学者は3.5万、約190万人の集団に対して2%に満たず、博士となると1.1万、0.6%(170人に一人)に過ぎません。大学院教育がいまだ限られ、とくに文系では研究者養成を中心としていたことが伺えます。ちなみに私は、1987年度に修士入学、89年度博士進学で、大学院重点化直前の世代となります。

 その後、18歳人口は、1992年におよそ205万人とピークを迎え、表1にあるように、20年近くたった2010年度には122万、2018年度118万とピークの6割程度になりますが、4年制大学進学率は上昇を緩やかに続けて、4年制大学入学者数は、2010年代60万人前後で一定しています。

 さて、ここで問題です。東京大学大学院の修士・専門職入学者数、博士入学者数はそれぞれどのくらいでしょう?大学教員でも意外に知らない人が多いと思います。答えは、2016年度修士・専門職3202人、博士1238人です。学部の入学者が3176人ですから、修士・専門職は学部以上の「東大生」が入学していることになります。 つまり、学部は60万人の4年制大学入学者の内、約3千人(200人に一人)が東大生に対して、修士・専門職は7.9万人の内3千人(26人に一人)、博士後期は1.5万の内1200人(12人に一人)なのです

 表2は、東京六大学と京大、阪大の8大学について、学部、修士・専門職、博士、それぞれの2017年度入学者数概数をまとめたものです。これら8大学は学部でも4万5千人、4年制大学入学者の7%を占めますが、修士・専門職になると2割、博士では4分の1近くになります。とくに、東大、京大、阪大の国立は、3大学院だけで、修士・専門職は10人に一人、博士は6人に一人にも入学者が達します。  

 

表2 東京六大学+京大・阪大の学部・修士・博士入学者数概数(2017年度)

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  ところが、さらに驚くべきなのは、東京大学の博士入学定員は1697名で、志願者数1629名、入学者1190名だったということです。修士・専門職は入学定員3228名、志願者7141名、入学者3231名と学則定員を満たしていますが、博士課程は志願者数ですら定員に達しない状況です。もちろん、これは東大に限ったことではなく、東大ですらという表現がふさわしい。私学の雄で大学院も相対的に大規模な早稲田の場合でも、学則上は、修士・専門職入学定員3800人余り、博士定員は850人程度ありますが、表2で分かるように、そこまでは達しません。立教も、修士・専門職入学定員は550人を超えていますが、2017年度入学者は411人です。

 日本の大学院教育、とくに博士に対する需要が、期待値(学則定員)よりも少ないことは間違いありません。図2は、文部科学省中央教育審議会・大学分科会(第125回、2015年11月10日)配布資料の一部です。拙文をここまで読み進められた方々は、これに類した図をご覧になったことも多いのではないでしょうか。いずれのグラフも、日本で大学院修了者が少ないことを示しています。

 

 

 

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図2 修士号・博士号取得者数の国際比較

出展:中央教育審議会・大学分科会(第125回、2015年11月10日)配布資料 資料3-3 「現在の高等教育改革の動向」関連資料と参考データ集(2/2) http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo4/gijiroku/__icsFiles/afieldfile/2015/11/13/1364481_09.pdf

 

 表1に示したように、1990年代に始まった大学院重点化にともない、日本の大学院教育も拡大してきました。しかし、ポスト冷戦期、グローバルな知識競争の拡大において、日本社会が後手に回っていることは否めません。表3は、1991年、2003年、2015年前後の時点における、亜欧米6か国の大学院学生数(フルタイム学生のみで、パートタイムは含まず)と人口をまとめたものです。

 

 表3 亜欧米6か国の大学院学生数(1991年、2003年、2015年前後)(データ出展:文部科学省「諸外国の教育統計」、日本と中国の大学院における在学者数の推移(1990-2011年) | SciencePortal China

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 冷戦が終結する1991年、西側世界が政治経済的にも、知識社会の面でも強い優位性を持っており、世界人口54億人の内、アメリカ2億5千万、西欧(英仏独伊蘭墺西葡ベルギー・スイス+北欧4か国)3億6千万、日本1億25百万が世界システムの中核(コア)を構成し、その中核7.35億人(世界の13%程度)の6分の1を日本が占めていたのです。大学院学生数でも、世界全体でまだ百数十万人に過ぎない中で、日本は10万人、実数で中国よりも多くの大学院生が研究に従事していたことになります。

 その後、世界人口は64億(2003年)、74億(2015年)と拡大し、先進国と新興国中間層・富裕層を合わせて30億を優に超えるとも推計されています。それに伴い、大学院教育もまた拡大の一途です。他方、日本社会は人口も横ばいから減少期に入っており、大学院生数も20世紀には拡大しましたが、21世紀に入ってからは横ばい傾向にあります。研究者数全体についても同様です。図3は、文部科学省がとりまとめた主要国・地域における研究者数の推移です(文部科学省『科学技術要覧』平成29年版、46頁)。1990年代を見れば、日本は西側世界で、欧州、アメリカに伍して第三極の地位にあったと考えられます。

 

 

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図3 世界各地域における研究者数の推移(文部科学省『科学技術要覧』平成29年版、46頁

 

 しかし、21世紀に入ると、日本の研究者数は80~85万人程度で頭打ちとなる一方、EU、アメリカ、中国が三極を構成している様子を見て取ることができます。 このように、冷戦終結期から2010年代までを振り返ると、冷戦終結まで、日本社会は冷戦構造で利益を享受していたのが、冷戦の枠組みが外れ、世界規模で優位性を巡るプレイヤーが増大していく中で、徐々に相対的地位が低下してきたと考えることができます。

 先ほど、ポスト冷戦期、日本社会は、グローバルな知識競争の拡大において、「後手に回った」といいましたが、それは、日本社会全体が、先進国の中で先頭を切って、老成社会に突入しているという歴史的文脈に大きく規定されています。 ここで私が大きな問題と感じてきたのは、私自身も含め、日本の政策立案者、大学・研究機関で中堅以上の研究者たちは、どうしても、1970年代、1980年代の日本のプレゼンス高揚(東アジア研究のハーバード大教授Vogelが1979年 ”Japan as Number One: Lessons for America” を著した)、上述のような欧米日三極構造での日本の学術というイメージに支配されているのではないか、ということです。だから、世界大学ランキングに振り回される。しかも、この「ランキング」という概念は、ピラミッド型の階層性をどうしてもイメージしてしまう。

 しかし、ここまで拡大したグローバル社会において、大学院レベルの大学院、研究機関もまた、「気球」のメタファーで考えるべきなのです。学部教育について議論した拙文で、日本の大学をピラミッド構造ではなく、気球構造でとらえる視点を提示しました。スペインの公的研究組織Consejo Superior de Investigaciones Científicas (CSIC)による"Webometrics Ranking of World Universities"(http://www.webometrics.info/)のデータにもとづけば、2017年1月現在、世界全体での「大学」数は26,368にものぼります。CSISは独自の評価方法によるランキングを行っており、ここでは、トップ1000の国別ランキングで並べ替え、高等教育機関数が4000超で世界最大のインドまでを含んだデータを参考までに載せます(表4)。

 

表4 主要国における大学数とランキング上位大学数("Webometrics Ranking of World Universities" Countries arranged by Number of Universities in Top Ranks | Ranking Web of Universities にもとづき、筆者作成

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 これだけの高等教育機関が鎬を削っているわけで、グローバルにみれば、トップ1000でも上位4%にも満たないのです。もちろん、上位層と最上位層との間には厳然とした格差があると考えることもできます。ちょうど、アメリカ社会において、21世紀、上位1割の富裕層がアメリカの富の半分を占めるに至っているが、その富裕層1割の1%(全体の0.1%)こそが富の蓄積を加速させている実体である(Piketty『21世紀の資本論』)ように、上位1000分の1(上位20数機関)の高等教育機関は、巨大な財政力を誇ります。

 表5は、米英のトップ10大学から7校(私が任意で選びました)と東大、NUSについて、学生数、年予算、基金をまとめたものです。 バークレーカリフォルニア州立大という公立校であり、基金の規模は限られていますが、それでも2000億円程度の基金があり、年予算は東大の3倍を超えます。アメリカトップ私学は基金が1兆円を超え、年利1割程度で運用しているので、運用益だけで千億円単位となります。他方、東大は病院収入(470億円程度)を含んでおり、それを除くと2000億円強に過ぎません。もし、日本の政策立案者たちが、本当に、日本の国立大学をグローバル競争で1000分の1の勝者にしようとするのであれば、こうした財政力が必要であることを肝に銘じる必要があると思います。

 

 表5 米英トップ10大学+東大・NUSの学生数、年予算、基金額 

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年予算、基金データは、各大学ホームページから筆者が整理。履修登録者数については、アメリカ各大学の多くは、https://www.collegetuitioncompare.com/による2017年秋時点でのもの。Oxford、スタンフォード、UC-Berkeley、NUS、東大は各大学HPから筆者が整理。2017年為替レート平均は、米ドル:1$=112円、シンガポールドル:S$=81円、英ポンド:1£=144円

 

  他方、上位5%あるいは10%水準で競争するのであれば、日本の有力大学は、十分な資質を備えています。ここで、実際に、研究教育にたずさわる一教員の観点から、国立系を私学と比較すると、大学院教育において、次の2点が大きな課題だと感じていました。

  1. 学部教育と同様、設備、システムに対する投資が国立系は遅れがちである。
  2. 大学院重点化により、国立系は、大学院が所属先であり、大学院定員を満たす必要性が高いため、教員―学生比率において、大学院は国立系の方が私学よりも不利になる。

 1)については、先の記事をご参照ください。 2)ですが、これは大学人以外の方にはわかりにくいかもしれません。ここでは、「社会学研究科」ということで、一橋大学院と立教大学院を比較してみたいと思います。

 国立の場合、大学院重点化で、教員の所属は学部ではなく、大学院(研究科)となりました(近年は「学術院」という統合組織にしている場合もあると思います)。大学院が基盤ですから、学則定員数を埋めないと基盤が弱くなります。他方、私学の場合、もちろん、定員を満たすことができるに越したことはないですが、大学院は規模が小さく(教員の所属も基本的には学部です)、大学院教育は一対一のきめ細かい指導が学部以上に求められるため、定員を無理に満たそうとはしません。

 表6は、一橋大学院・社会学研究科と立教大学院・社会学研究科の学生数を比較したものです(2017年度)。ここで質問です。それぞれの研究科専任教員数は何人だと思いますか?

 

 表6 一橋・社会学研究科、立教・社会学研究科の学生数(2017年度現在、各大学HP資料から筆者作成)

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  この記事を書いている2018年5月現在、一橋63人(内特任5人)、立教30人です。一橋が多様な人材を擁していることはいうまでもありませんが、立教も専任教員30名というのは、社会学研究科としては国際的にみても大きな部類だと思います。ちなみに、社会学で最も著名な大学の一つであるシカゴ大学社会学研究科専任教員は27名です(https://sociology.uchicago.edu/directories/full/sociology-faculty)。

 こうして比較すると、教員数では立教は一橋の半分ですが、院生数は一割程度です。これは私学だからこそ、大学院教育では、学生にとって資源が潤沢であることを意味します。しかも、一橋院の志願者は2010年代200名台前半で推移し、実質倍率が2倍強であるのに対して、立教院は、志願者が2018年度入学者入試では延べ100名を越え(2017年9月、2018年2月の2回実施)、実際の入学者が16名なので、倍率は5倍以上になっています。立地や就学環境を考えると、立教の方に魅力を感じてもおかしくはない状況です。

 実際、私の場合、立教に移り、大学院教育をより自分の専門に沿って、丁寧に行えるようになったと思います。もちろん、ここまでお話したことは、私個人の特殊な立場(文化人類学を出自として、インターネット研究に取り組み、ビッグデータにも積極的な研究者)による面も多いとは思いますが、日本の高等教育、大学院レベルの研究をグローバルに「気球」メタファーでとらえる視点や、国立、私立の対比など、目を通していただいた方に、少しでも参考になる部分があれば、幸いです。

 また、大学院志望学生の皆さんに言いたいのは、大学院では、指導教員との関係が本当に大切だということです。これまで議論してきたように、日本において、大学院レベルでは、「ブランド」力は実質的な意味がなくなってきています。大学院レベルの研究では、指導教員の研究力・教育力、指導教員とうまくコミュニケーションできるか、円滑な関係を築けるかが決定的だと思います。自分のやりたいことと当該研究科教員とのマッチングを真剣に考えてほしいと思います。

 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。