木村忠正の仕事部屋(ブログ版)

ネットワーク社会論、デジタル人類学・社会学研究者のブログです。

深層学習の父Geoffrey Hinton「デジタル知性は、生物的知性に取って代わるのか?」

※この記事は、授業で接している学生の皆さんを対象としたものです。予めご承知おきください。

 

 深層学習の父であるGeoffrey Hinton博士は、長年研究・教育に携わり、深層学習のブレイクスルーにより、グローバル社会でのAI中心の一つとすることに多大な貢献をしたトロント大学で、2023年10月、「デジタル知性は、生物的知性に取って代わるのか?(Will Digital Intelligence Replace Biological Intelligence?)」と題する講演を行いました。ほぼ同じ内容の講演を、2024年2月Oxford大学でも行っていますが、質疑を含め、トロント大講演の方が情報量が多いと思います。
 この講演は、日本の多くの若者、大学生に知ってもらいたいと思い、ここで紹介する次第です。なお、ご存知の方も多いと思いますが、Google ChromeApple Safariブラウザへの機能拡張に、”YouTube Summary with ChatGPT & Claude” があり、例えば、上記講演も、英文トランスクリプトを生成し、その要約や翻訳を生成AIに行わせることができます。
 Hinton博士は、LLM(大規模言語モデル)を実現した深層学習モデルの言語処理(語概念と統辞(文法)の修得)は、ヒトの脳と同じ仕組みであり、語と文を理解していると考えられると述べ、デジタル知性はすでに生物的知性(我々人類)を乗り越えつつあると議論しています。小職は、理論的には、認知人類学を研究者としての基点としており、認知科学、認知意味論、コンピュータサイエンス分野の発展に関心をもってきた立場から、Hinton博士の見解に同意する面が多くあります。
 デジタル知性は、いまだ、言語、画像、動作など、領域が限られています(但し、それぞれの領域で、すでにヒトを越える能力を身につけている)が、これらの領域を横断して(マルチモーダルな)経験、学習ができるようになれば、ヒトをはるかに凌駕する超知性(super intelligence)へと進化し、ヒトを相手に顔色を伺いながら、会話を展開し、ヒトを説得することなどいともたやすいでしょう。
 Hinton博士は、こうした未来像はSFではもはやなく、一つの脅威となるシナリオは、独裁者がデジタル知性を支配の道具とすることであり、さらに、「自己保存(self-preservation)」の意識を超知性が持つことで、超知性同士の競争が起きるシナリオへの懸念を表明しています。ただ、大きな課題の一つは、消費電力の問題で、ヒトは、これだけ優れたコンピューティング能力を持ちながら、その消費電力はわずかですが、現状のLLMは膨大な電力が必要です。小職が別途調べると、ヒトは、20ワット程度、1日500ワット時(Wh)(=0.5kWh(キロワット時))に対して、ChatGPT3.5は、1日あたり50万kWhと、ヒトの100万倍以上に達します(さらに、学習トレーニングには10GWh(ギガワット時)(=1000万kWh)かかったといいます)。ただ、1日に処理するプロンプトは2億以上ということで、ヒトが100万人がかりで回答すると考えると同じ程度かもしれません。
 Hinton博士の講演を見ると、LLMが、私たちヒトの認知の仕組みを理解する上で、重要な役割を果たすとともに、デジタル知性を生み出し、ヒトにとって、パンドラの箱を開けることにつながる可能性も空想の世界ではないと改めて感じます。文系の学生さんたちにとっては、やや難しい面もありますが、アクセスして、理解を試みてもらえればと強く思います。例え、理解が不十分に終わったとしても、そこで議論されている、多様な論点の手がかりが、これから、10年、20年後に生きてくる可能性があるのです。
 最後まで、目を通してくださり、ありがとうございました。

「ダンバー階層(Dunbar layers)」と自民党派閥

※この記事は、授業で接している学生の皆さんを対象としたものです。予めご承知おきください。

 

 自民党の政治資金問題が拡大し、派閥解散が報じられた際、自民党派閥のメンバー数と「ダンバー数(Dunbar‘s number)」との関連を興味深いと感じた方も多いでしょう。霊長類は、たまたま居合わせた個体たちが群れを作るのではなく、相互に認識し、自集団(の個体)と他集団(の個体)を区別する集団を構成し、その集団内で、資源を巡り様々に競合しつつ、社会的知性(「マキャベリ的知性」(Byrne and Whiten 1989)とも呼ばれる)を駆使して、複雑な社会的関係性を織りなし生活しています。人類学者であるDunbarは、霊長類の大脳皮質(の発展)が、集団内における社会的関係性に関する認知処理能力と関連し、集団は、個体数が多い方が、捕食者への対応、他集団との競合で有利である一方、集団内競合関係と認知処理能力の制約から、一定数以上になると集団を維持することができず、分裂すると議論しました(Dunbar 1998)。
 そして、Dunbarは、大脳新皮質を除いた脳容量に対する、新皮質の比率と、霊長類の様々な種における社会集団の平均個体数(3個体程度~60個体程度)とに強い相関関係があることを見出し、私たち現生人類の場合、150個体程度が、階層的組織を形成せず集団を構成できる平均個体数と推計しました。個体の観点からみると、互いに顔見知りになり、日常的に交流することで、集団を構成できる人数の上限が150人程度ということです。この150が「ダンバー数」と言われます。
 自民党の派閥解消が話題となると、歴代最多の田中派が140名超だったことや、安倍派が100名を越えると分裂が危惧されていたといったことから、自民党の派閥のメンバー数は、ダンバー数制約の具体例と考えることができ、「自民党 派閥 ダンバー数」でググれば、関連する投稿が見られました。
 ここで、筆者がこの記事を投稿しようと考えたのは、「ダンバー数」という言葉だけが一人歩きしており、Dunbarの議論が、「ダンバー階層(Dunbar layers)」という形で展開されていることが看過されているように感じるからです。ダンバーは、個体の対人関係ネットワークは、5人(最も親密)、15人(親しい友人)、50人(友人まで含む)、150人(知人まで含む)と、親密度により階層化される同心円で表されると議論します。ここで興味深いのは、親密度の高い階層から次の階層へと、およそ3倍の個体数に拡がることです。(なお、Dunbarは参照していないのですが、同様の同心円的対人ネットワークの概念は、社会人類学者Boissevainが1970年代にすでに定式化していたものと考えることができます(Boissevain 1974)。Boissevainの主著は邦訳もあり、現在から読んでも興味深いものです。)
 ダンバー階層からみると、2023年時点での自民党各派閥は、麻生派、茂木派、岸田派、二階派がそれぞれ50前後となっており、50がまず大きな基準値であるように思われます。おそらく、権力を巡り、文字通りマキャベリ的知性を駆使した権謀術数が渦巻く集団では、100や150までメンバーが増えることは容易ではないのでしょう。その意味では、最盛期の田中派や安倍派がいかに強力かが伺えると思います。
 また、直接的に、互いに集団メンバーとして識別し、交流できる上限は150ですが、Dunbarは、ヒトの場合、言語(方言)や風習の共有や、階層的組織を形成することで、150の約3倍の500、1500、5000といった個体数も、社会集団サイズとして、機能する単位(ダンバー階層)を構成すると議論します。ちなみに、立教大学社会学部は、社会、現代文化、メディア社会の3学科あるのですが、定員は、1学年1学科170人、1学年3学科で510人となり、各学年、それぞれの学科で、なんとなく顔見知りになるようですし、立教大学11学部で1学年5000人が定員です。
 「ダンバー数」が広く知られていますが、「ダンバー階層」も、身の回りの様々な集団や、皆さん一人一人の対人ネットワークを考える上で有用な概念だと思います。聞いたことがなかった方にとって、参考になれば幸いです。
 最後まで目を通してくださり、ありがとうございました。

 

<参照文献>

Boissevain, J. 1974, Friends of Friends: Networks, Manipulators and Coalitions. Oxford: Basil Blackwell.
Byrne R, and Whiten A. 1989 Machiavellian intelligence: social expertise and the evolution of intellect in monkeys, apes, and humans. Oxford, UK: Oxford University Press.
Dunbar, R.I.M. (1998) The social brain hypothesis. Evolutionary Anthropology, 6, 178–190.
<関連邦訳文献>
ボワセベン, J. 1986, 友達の友達: ネットワーク,操作者,コアリッション. 未来社
バーン, R., ホワイトゥン, A., 2004, マキャベリ的知性と心の理論の進化論. ナカニシヤ出版
ダンバー, R., 2011, 友達の数は何人?―ダンバー数とつながりの進化心理学. インターシフト

 

ChatGPTは怖くない!?~学生がレポートでChatGPTを使ったら・・・~

 ちょうど5年前となる2018年6月のエントリーで、「「キュレーション型剽窃」の悪質さ~若手研究者研究倫理の現状~」を投稿しました。

 そのエントリーのきっかけとなったのは、ある公益財団法人が主催する大学(院)生を対象とした顕彰論文事業なのですが、今年度、新たに興味深い応募論文がありました。

 図1は、その論文に類似性判定ソフトをかけた結果です(文章自体はわからないような画像処理をしました)。異なる色は、異なるウェブ情報源であることを示しており、ところどころ、ハイライトされた部分の先頭で、文章のちょっと上にある濃い色の塊(実際には四角で数字が白抜きになっている)は、該当する具体的なウェブ上のページにとんで確認できるようになっています。

 ご覧いただければわかるように、見事な「キュレーション」(ウェブ情報のつまみ食い)です。この論文は興味深い試みで、投稿者は、論文の3分の2ほど進めたところで、「実は、ここまでの論文は、ChatGPTに書かせてみました」とネタばらしをきちんとしてくれました。

 

図1 「ネタばらし」までの文章・類似性判定結果

 

 早速、こうした論文が、顕彰論文の応募論文として投稿されるのだと、感心したのですが、ここでさらに興味深い知見が得られました。

 図2は、応募者がネタばらしをした後、論文の主題について、改めて議論を展開した部分です。ネタばらし後ですから、初めは、ここから、応募者自身が、自分で考えたことを議論しているのだと思いながら読みました。しかし、類似性判定の結果をみると、図1と同様のキュレーションであることがわかりました。

 

図2 「ネタばらし」以降の文章・類似性判定結果

 

 

 キュレーションの巧みさ(多数のウェブ情報を巧みに組み合わせている様子)から、おそらく、応募者は、ネタばらし以降も、ChatGPTの回答を貼り付けたと思われます。実際、当ブログ主自身、ChatGPTに、図2にあたる部分の主題を、うまく回答を引き出すようにたずねると、論文と同様の回答を得ることができました。

 これは、応募者のブラックユーモアとも考えられますが、意図は定かではありません。ただ、自らChatGPT利用を申告してくれて、ネタばらししたあと、自分の文章のように見せていることで、自然実験となってくれています。そこで、この自然実験から分かるのは、ChatGPTを利用したか否かは、類似性判定により、かなりの精度で推定できそうだということです。

 ChatGPTを学生が利用するようになり、この春学期、当ブログ主を始め、周囲の大学教員たちは、レポート課題をどうするか、頭を悩ませています。類似性判定ソフト開発会社は、AI生成の文章かどうかの判定アルゴリズムの開発と実装も積極的に取り組んでいるようです。

 ただ、今回、顕彰論文への応募論文から分かったのは、ChatGPTは、ウェブ情報を大量に飲み込んで、それを組み合わせて吐き出している以上、類似性判定で、そのキュレーションする姿が露わになるのではないか、ということです。

 面白いことに、実際の学生が、自分の頭で書いた文章を類似性判定すると、こんなにきれいなキュレーションにはなりえないのです。これは、大学教員にとって、朗報かもしれませんし、ヒトの言葉の紡ぎだし方は、AIの確率論的文章生成とは異なるロジックに基づいていることも示しているように思います。

 大学教員の方は、是非、レポート課題については、類似性判定で、華麗にウェブ情報を掬い上げて再構成しているかどうかを、確かめてもらえればと思います。また、学生の皆さん、ChatGPTをそのまま使うと、その見事なキュレーション具合で判断されてしまう可能性が高いです。そこから、自分の頭で考え、調べて、よりよいレポートを書いてもらうことで、皆さんの思考力、文章力が高まると思います。

 もっとも、これは、ChatGPT3.5の段階のことで、4.0以降、さらに進化した場合にどうなるか、自分でも試して行きたいと思っています。

 最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 



 

「情報行動研究における質問紙調査とログデータ」

「日本人の情報行動調査」は、東京大学大学院情報学環を主軸とする研究プロジェクトで、1995年から5年ごとに全国調査を実施しています(小職は、2015年調査、2020年調査に参加させていただきました)。その最新調査である2020年調査にもとづき、日本人のメディア利用行動やコミュニケーション行動に関する、詳細な利用実態、メディア環境変化のデータと先端的研究主題に関する論考をまとめた『日本人の情報行動2020』(橋元良明編)が、2021年8月31日、東京大学出版会から出版されました。

 概要と目次はこちらをご覧ください。http://www.utp.or.jp/book/b584541.html

 

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 『日本人の情報行動2020』は、大きく、調査の概要に沿って情報行動の全般的分析を行う第1部と、プロジェクトに参加した研究者がそれぞれ独自の観点で分析を行った論考からなる第2部に分かれています。

 小職は、第1部では、SNS利用と動画サービスの分析を行いました。SNS利用については、現代日本社会で利用率の高い、LINE、InstagramFacebookTwitterの4SNSを「LIFT」としてまとめ、利用者属性の違いを明らかにしています。また、動画サービスは、動画共有、放送番組配信、ライブ動画配信、オンデマンド型動画配信、無料ネット放送と多元化していますが、これらネット動画サービスの相互利用と、さらにSNS利用、ニュース接触行動との関係を探索すると、SNSや動画サイトなどを積極的に活用し、情報メディア環境を自在に闊歩する層が一方で拡大してきているのに対して、依然としてアナログマスメディアが情報摂取の主要手段であり、ネットメディアに消極的な層が根強く存在する様子が窺えました。

 第2部では「情報行動研究における質問紙調査とログデータ」と題した第7章を執筆しました。「日本人の情報行動」調査は、質問紙調査により実施していますが、情報行動研究の方法論という観点から、スマホ利用は、大きな挑戦的課題となっています。スマホは、無意識的、間欠的操作が多発するとともに、多種多様なアプリ、サービス、サイトが利用可能で、利用目的や行動種類が多元化しており、自己申告式質問紙調査でそうした操作、利用を捉えることは困難です。他方、小職は、2017年からLDASU(Log Data Analysis of Smartphone Use、「エルダス」と読ませる)というスマホアプリ起動ログ自動収集データの学術的分析を行う共同研究プロジェクトに取り組んでいます。LDASUでは、スマホ利用者のアプリ実利用データ取得・分析事業を手掛けているフラー株式会社(https://www.fuller-inc.com/)が、モニターの同意を得て収集したスマホ起動ログが分析対象です。Androidスマホのみが対象(iOSは対象外)ですが、モニターの登録端末で、操作が行われ、あるアプリがスマホの最前面になると、その日時(1秒単位)と当該アプリ情報がログとして記録されます。

 こうしたスマホ起動ログのビッグデータは、質問紙調査では捉えることが難しいスマホ利用の詳細な分析を可能にすることはいうまでもありません。しかし、こうしたビックデータが、スマホ利用を一挙手一投足捉える「客観的」データだと捉えることはナイーブすぎます。AI、ビッグデータについてはその可能性から万能のような印象を持つ方がいるかもしれませんが、実際に分析に関わると、ビッグデータもまたデータ毎の特性をもった「調査構築物」であることが明確となります。そこで拙稿では、「日本人の情報行動」調査データとスマホ起動ログデータを体系的に比較し、とくに「孤独感」や「スマホ依存」といった精神的健康と質問紙データ、ログデータとの関連性を探究しています。データそれぞれの「調査構築物」としての特性について示唆に富む分析結果を議論しており、ご一読いただければ幸いです。

 なお、共同研究パートナーであるフラー社には、拙稿の学術的観点を十分にご理解くださり、分析結果をまとめ、公表することに積極的なサポートをいただきました。ここに記して謝意を表します。また、小職はフラー社から経済的利益の提供を一切受けてないことも申し添えます。

 

 

 

「ポストコロナ社会」を構想する視座

 「「失われた30年」(1991年~2020年)とは何か?」という拙ブログ記事で、アメリカ留学からみたときにも、「失われた30年」は、日本社会がグローバル社会で相対的地位を低下させてきた現実であることを議論しました。

 ただ、それは、量的存在感のことであり、むしろ、冷戦時代の高度成長・バブル期に形成された日欧米3極構造の幻影という頸木(これが、「デジタルネイティブ(1980年生以降)」よりも前、団塊ジュニアまでの世代=依然として日本社会の6割以上を占め、社会をコントロールしている層に根深く刻まれている幻影)から私たちを解放し、21世紀の日本社会を構想することが必要だと思います。ここでは、ユヴァル・ハラリの世界的ベストセラー『ホモ・デウス』を手掛かりに「ポストコロナ社会」を構想することを介して、これからの日本社会の方向性を考えてみます。『ホモ・デウス』を手掛かりにした「ポストコロナ社会」の構想というのは、審査委員長を務めている公益財団法人昭和池田記念財団の学生論文賞冊子向けに小文を執筆したのがきっかけです。この記事は、ブログで公開することについて、財団の承諾を得て、小文をもとに発展させたものです。十分にまとまった思索ではなく、思い付きの域を出ないものですが、お付き合いいただく方がいらっしゃれば、幸いです

 


 2020年代が新型コロナパンデミックで幕を開けることになると誰が予想したでしょう。

 周知のように、21世紀における傑出した人文学者であるユヴァル・ハラリは、世界的ベストセラー『ホモ・デウス』において、人類が長年にわたり対峙してきた、「飢饉」、「疫病」、「戦争」という3つの難題を、人類は20世紀克服しつつあり、21世紀の人類は、アルゴリズム的世界観、人間観をもとに、「不死」「幸福」「神性」の3つの難題を追求するとの議論を展開しました。

 新型コロナについても、ハラルは、洞察力に富んだ発言をしていますが(例えば、河出書房新社のウェブサイト(http://web.kawade.co.jp/bungei-cat/bungei-2/)では、海外新聞・雑誌へのハラルの寄稿の和訳を読むことができます)、『ホモ・デウス』の議論の枠組みをもとに考えれば、克服したと思われた「疫病」は、けして過去のものではなく、20世紀までの遺物にはなっていなかったことを改めて人類に自然が突き付けたということでしょう。そして、新型コロナを巡る闘いが、領域国家に境界線を改めて強めるとともに、人類社会の枠組み自体をめぐるイデオロギー対立も20世紀の遺物ではないことが露呈しました。

多数の人々が現実に血を流す世界規模の「戦争」は回避され続けるかもしれませんが、宇宙空間、ネット空間を含めた「超限戦」、社会的生活空間全体が絶えず戦場と化す社会が到来しているようにも思われます。そして、人口増加と自然環境の悪化は、新型コロナによって一時的にブレーキがかけられても、食料、水資源を巡る争いは水面下で絶えず蠢いています。

 つまり、ハラリの議論の枠組みのように、20世紀までの問題が克服され、21世紀からの挑戦が生起しているというよりも、20世紀までの問題は、依然として人類にとって脅威であり、それが21世紀の欲望と複合することで、人類社会は、新たな課題に立ち向かうことになるでしょう。

 ハラリが21世紀に人類が追求する挑戦とした「不死」「幸福」「神性」は、これまでの人類においても、やはり強く希求されていたものです。ただ、従来は「夢物語」であった欲望の対象が、テクノロジーによって、実現可能かもしれない。ここで大きな社会的課題は、その実現可能性が、「すべての人類にとって」、ではなく、「一部の人類と、人類とテクノロジーが組み合わされた新たな人類(ホモ・デウス)にとって」かもしれないという点です。実際、多様なインセンティブ、利便性を与えて、人々にテクノロジー利用を促し、そのデータを駆使して富を生み出し、支配する構造が現実に拡大しています。

 「ポストコロナ社会」は、人々が直接接触することを回避する傾向を促し、デジタル空間、仮想現実(VR)、アナログ現実空間とデジタル仮想空間とが混在する拡張現実(AR)が、わたしたちの日常生活空間に深く組み込まれていくと思います。このような「ポストコロナ社会」において、「不死」「幸福」「神性」を、一部の人々のみが可能性を追求、享受できる社会とするのか、多くの人々に可能性を拓くのかは、それぞれの社会が考えることです。日本は、21世紀グローバル社会において、量的には縮小していきますが、相対的少数でありながら、一定規模の社会集団、市場規模、技術開発力を維持できることもまた明らかです。そこで、グローバル社会において、日本社会が社会総体として「ホモ・デウス」を積極的に目指してはどうでしょうか?

 少子高齢化の深刻化から、介護、育児、モビリティの分野で、AI、ロボティクス、ネットワークの進展は不可避です。そうした社会的ニーズをドライブとしながら、デジタルネットワークテクノロジーを活用し、「不死」「幸福」「神性」を積極的に目指す社会。日本社会はすでに平均寿命が世界で最も長くなっています。おそらく、「神性」が鍵で、「ホモ・デウス」的「神」は、強い個性、我があり、思うがままに振る舞う存在です。もちろん、社会的動物である以上、各自がただ我を張るだけではうまくいきません。さらに、「ホモ・デウス」の「神性」で重要となるのは、「テクノロジーと接合することによる人類の増強」という点です。社会にその力を還元できるような個人の願望、新たな力を積極的に伸ばそうとすること。ここで小職がイメージするのは、藤井聡太九段を筆頭とする将棋界の革新です。拙ブログ記事(「機械とヒト」)でも議論したように、ヒトは、AI同士の闘いにはさほど興味は持ちません。ヒトがAIと組み合わさり、そうしたホモ・デウス同士の切磋琢磨に熱狂するのです。

 こうした人類の増強という視点を社会に拡大するには、教育を大きく変える必要があるでしょう。そして、多くの人が「神性」を目指し、実現できるには、多様性、多元性を社会的に認める寛容性が必須であり、それが「幸福」につながると思うのです。

 今回も拙文にお付き合いくださり、誠にありがとうございました。

「失われた30年」(1991年~2020年)とは何か?~アメリカ留学からみるグローバル社会における日本の相対的位置~

2020年度、21年度、新型コロナ禍は、大学生たちの生活、活動を大きく変えてしまいましたが、「留学」は、その中でも、最も大きな影響を受けた活動の一つです。立教大学社会学部でも、留学を計画しながら、延期せざるをえない学生たちが多くいます。そこで、学生たちに、グローバル社会、異文化への関心を高めてもらうため、教員が「異文化体験を語る」連続講演会(社会学部国際化推進委員会主催)が、21年度、オンラインで開催されました。

そこでわたしも話すことになり、30年ほど前にアメリカ大学院に留学した際のことを思い出し、改めて、留学を巡る社会環境について調べる機会となりました。講演会で話した概要は、社会学部HPで紹介されています。

https://sociology.rikkyo.ac.jp/news/2021/hc09nv00000024zk.html

ここでは、そこで認識を新たにしたアメリカ大学院留学を巡る社会環境の変化(講演では時間の関係もあり十分に触れることができませんでした)を皆さんと共有したいと思います。以下の記事は、留学に詳しい方には既知のことかと思いますが、わたし自身は、自分が留学したとき、どのような社会状況だったのかを自省的に考えたことがなかったため、振り返るいい機会となり、同時に、この30年間におけるグローバル社会の変化とそこでの日本の立ち位置の変化を改めて確認する機会となったため、ブログ記事にしようと思った次第です。

 


 わたしは、学部から大学院と文化人類学を専攻したのですが、その中でも専門特殊性が高い「認知人類学」に強い関心を持っていました。ただ、日本では専門とする研究者はほとんどおらず、当該分野の中心的研究者の一人(Dr. Charles Frake)が、ちょうどスタンフォード大からニューヨーク州立大バッファロー校(SUNY at Buffalo, UB)に移動したため、UBに1990年留学しました。

 いま改めて時代背景を振り返ると、1985年プラザ合意によって、円高が急激に進み(合意前1ドル260円程度から88年には120円台まで、円の価値は3年で倍以上に)、80年代後半のバブル経済を生み出すとともに、海外旅行、留学が拡がり始める時期にあたっていました(当時は、そうと明確に自覚していたわけではありませんでしたが)。図1は、1970年~2020年のドル円レート(月次平均)と円の実質実効為替レート指数(2010年=100)を示したものです。赤枠で囲った部分が、プラザ合意からバブル景気と呼ばれる時期で、わたしが留学した(できた)のは、急激な円高があってのことでした。

 

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図1 1970年~2020年のドル円レート(月次平均、左軸)と円実質実効為替レート指数(2010年=100、右軸)

 

 高等教育留学生をみると、1989年頃から留学者数が増加し始めていることが分かります。図2は、文部科学省JASSO日本学生支援機構)、IIE(Institute of International Education、米国国際教育研究所、https://opendoorsdata.org/)、アメリカ教育省国立教育統計センター(NCES)、OECD、UNESCO、総務省人口統計からまとめたデータです。A(青線)は、その年10月現在の20歳日本人人口です。左軸、単位は百人で、1992~94年(1972~74年生、団塊ジュニア世代)が200万人を越えでピークを形成し、その後は、少子化の影響で徐々に減少し、2010年代には120万人台の水準まで下がっていきます。B(オレンジ線)は、海外の高等教育機関に留学した日本人数です。日本人留学生数は89年に2万人を初めて越え、90年代を通して増加して、2003年には8万人に達します。

 高等教育留学は、20歳だけではなく、一人が1年のみではない(数年もあれば、数カ月もあります)ですが、参考までに、その年の留学生数を20歳人口で割ったのがB/A(薄緑色の縦棒)です。これをみると、80年代1%程度が、90年代から2000年代にかけて5%超まで増加します。2008年のリーマンショックを機に実数、割合とも減少しますが、2010年代、毎年6万人程度、B/Aは5%程度で安定してきました(2020年以降は新型コロナ禍で激変するでしょうが)。

 

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図2 高等教育日本人留学関連データ  

 

 C(緑線)は、米高等教育機関への留学生(正規課程修学者)の推移です。84年にはわずか1万3千人が、89年約3万、94年4万5千と、プラザ合意からバブル期を経て急増します。米高等教育機関への留学生全体に日本人の占める割合も、84年に3.8%が、94年に10%(45万人中の4.5万人強)と最大の国・地域となりました。

 冷戦終結時、自由主義世界は、アメリカ(2.5億人)、欧州(英独仏で2億人)、日本(1.2億人)が三極を形成し、科学技術研究においても、日本はグローバル社会で主要な地位を占めていました。図3は、『科学技術要覧』による国・地域別研究者数推移ですが、1990年代までは、EU、米国、日本が3極を形成していたことが分かります。

 その後、2000年代に入り、グローバル化が進展する中で、日本社会は相対的に縮小しつつあります。図3からは、研究者数が2000年から2020年の20年間に、日本の場合1.1倍程度の増加に留まるのに対して、EU2倍、米国1.5倍と着実に拡大し、さらに中国が2.5倍と急伸する様子がみてとれます。

 2019年度、米高等教育機関は、世界各地から100万人強の留学生(正規課程修学)を集めていますが、図4にあるように、中国が35%、インドが18%と2地域で過半を占め、日本からは1.7万人と2%に満たないのです(図5も参照)。図2のD(紫線)にあるように、短期交換留学生は日本全体で10万人と増加し、D/A(20歳人口における交換留学生数の割合、濃い緑縦棒)は10%近くと、10人に一人の大学生が交換留学を経験する時代ともいえますが、正規留学生は横ばいであり、日本社会の学術研究力という観点からは、改めて正規留学生の数が増えることが望ましいと思います。

 

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図3 国・地域別研究者数推移(出展:『科学技術要覧令和2年度版』 図8-1

https://www.mext.go.jp/content/20210810-mxt_chousei01-000017284_08.xlsx

 

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図4 2019年度米高等教育機関正規留学生の国・地域別割合(出展:IIEホームページ、https://opendoorsdata.org/wp-content/uploads/2020/11/CENSUS-2020-Top-10-Places-of-Origin-for-International-Students.jpg

 

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図5 米高等教育機関正規留学生における日韓中の割合推移

 

 このように留学という観点からみても、日本社会のバブル崩壊後は「失われた30年」であり、それは、グローバル社会における相対的地位の低下という直視すべき現実です。図6は、国連人口推計にもとづき、世界人口に占める、日本、米、英独仏、中国の割合を示したものです。左軸、右軸とも%ですが、日米英独仏(折れ線グラフ)が左軸、中国(縦棒グラフ)が右軸です。中国は第二次大戦後、現在まで2割程度の規模を維持していますが、日米英独仏の5カ国もまた、1950年に15%以上、1990年でも1割以上の人口を占め、冷戦期の自由主義陣営で考えれば、これら5か国(+加、伊のG7)が中核地域を形成していました。しかし、1990年代から、アメリカは徐々に相対的に小さくなりつつあるとはいえ、世界人口の4%以上、英独仏も他のEU圏を含めれば1割程度(7億人以上)を占めるのに対して、日本社会は2%以上だったものが、1.5%以下へと減少していきます。

 

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図6 世界人口に占める日本、米、英独仏、中国の割合推移(データ出展:国連人口推計、https://www.un.org/development/desa/pd/

 

 21世紀、こうしたトレンドは、一層進むことはあっても、反転させることはほとんど不可能といっていいでしょう。では、私たちはどうしたらいいのか? 「ポストコロナ社会」という観点から、記事を改めて考えたいのですが、ここでは、留学という観点で、いまの大学生にメッセージしたいと思います。

日本社会がこれからも縮小均衡を続けることを念頭に置くと、いまの大学生には、日本という枠に囚われず、グローバル社会で活動できる力を身につけて欲しいと切に願います。人類社会、グローバル社会で、他の社会、文化の人々と交流し、自分の価値を高め、社会的に活動できる力を身につける意思を持ってもらえれば。そうした若者が増えれば増えるほど、日本社会全体の力もまた増すことになると考えます。また、若者がそうした積極性を発揮できるインセンティブを社会として提供する必要があり、教育に社会としてもっと投資すべきだと思います。

今回も、拙文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

 

 

 

 

 

立教大学院社会学研究科がホット/クール??(志願者急増の謎)

 この記事は、立教大学社会学研究科の受験を考えている方を対象としています。予めご承知おきください。また、本記事は、「グローバル化の進展と文系大学院教育」で議論したことに多くを基づいています。まだご覧になっていらっしゃらない方は、是非、合わせてお読みください。


 まず下図をみてください。これは、立教院社会学研究科、一橋院社会学研究科、博士前期(修士)課程志願者数の推移です。2010年代、一橋は200~250名程度で推移しているのに対して、立教は30名程度から2017年度実施入試では初めて100名を越え、今年度(2018年度)実施入試は、秋季入試だけで80名近く、春季(2019年2月実施予定)を合わせると150名は優に超える予測です(6年で5倍です)。

 

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一橋院社会・立教院社会の志願者数の推移


 

 一橋社会学研究科は、専任教員が60名程度、修士課程学生定員90名超という日本最大の「社会学研究科」ですが、立教社会学研究科も専任教員は30名を越え、「社会学研究科」としては世界的にみても規模が大きく、多様な研究者を擁しています。他方、私学であることから、修士課程学生定員は20名と小規模です。大学院教育という観点からみると、一橋は学生数が多く、互いに切磋琢磨できる環境、立教は教員と院生との距離が近く、より丁寧に指導を受けられる環境、と特徴づけることができるでしょう。
 また、立教は比較的狭小な立地を活かし、図書館、院生室などの施設、院生が研究し、発表する機会支援(各種奨学金、学会発表・研究活動支援、紀要発行支援など)が充実していることも特徴です。

 カリキュラムでは、「プロジェクト研究」が修士で必修になっていることが特筆すべき点です。日本の人文・社会系大学院教育では、社会で求められる能力と大学院で身につく能力との整合性が大きな課題とされ、「他者と協働する力」「自ら課題を発見し解決に挑む力」などを涵養するため、「チームワークを重視したワークショップやプロジェクト形式による授業や課題」などの授業・研究指導実践が必要と指摘されてきました。

 「プロジェクト研究」という科目は、2014年度から導入され、特定課題に関する研究プロジェクトを、大学院生と複数の教員が協働して取り組むものです。計画の立案、調査の実施、結果の分析、報告書の作成というプロセスを経験する中で、社会学の研究能力を養成するアクティブラーニング型教育プロジェクトであり、上記のような人文・社会系大学院教育の課題に積極的に応えるものとなっています。(20181226追加)

 2010年代、立教院社会志願者増加が、こうした条件、環境によるのかは不明ですが(増加の原因はよくわかっていないのです)、結果として、下図にあるように、立教院社会は合格率が2割程度と競争率が高い研究科となっています。図から明らかなように、2012年度から2014年度は、立教と一橋はともに、合格率が3分の1程度で、定員の規模に応じた志願者数と合格者数だったわけですが、2015年度から、立教院社会は、志願者増加が顕著となり、合格することが難しい研究科となってきています。

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一橋院社会・立教院社会の志願者・合格者数、合格率の推移

 実際、昨今の例に漏れず、大学院で社会学研究科を志望していても、学部で社会学が専攻だった受験者はほとんどいませんが、入学している院生たちの知的水準は高く、知的欲求、学習意欲、修士論文に取り組む意思も強いものがあります。
 2018年9月、THE(Times Higher Education)の2019年版世界大学ランキングが公表されました。

World University Rankings 2019 | Times Higher Education (THE)

 下表は、ランキング入りした日本の大学上位校を一覧にしたものです。立教は日本の大学で21位(私学に限れば8位)、世界ランクで601~800位水準に位置しています。「グローバル化の進展と文系大学院教育」で、スペイン公的研究組織Consejo Superior de Investigaciones Científicas (CSIC)による"Webometrics Ranking of World Universities"(http://www.webometrics.info/)データを紹介しましたが、世界には高等教育機関が26000以上存在しており、世界ランク601~800位というのは、世界のトップ5%水準には入っているということです。

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THE世界大学ランキング2019(日本の大学上位)

 やはり、「グローバル化の進展と文系大学院教育」で議論しましたが、日本の大学院教育では、東大、京大、早大、慶大といったブランドの意味はなくなっています。拙記事の繰り返しになりますが、大学院レベルの研究では、指導教員の研究力・教育力、指導教員とうまくコミュニケーションできるか、円滑な関係を築けるかが決定的です。自分のやりたいことと当該教員とのマッチングを真剣に考えてください。
 立教院社会の特徴の一つは、学部で「メディア社会学科」を擁しており、メディア研究の専門家が多いことです。しかも、メディア史、テレビ、新聞、雑誌、グローバルメディア、表象、ソーシャルメディア、インターネットと多様なメディア研究の専門家が集積しています。小職は、文化人類学を出自として、インターネット研究に取り組み、ビッグデータにも積極的な研究者ですが、同僚の和田伸一郎先生は、哲学が出自でありながら、近年Pythonによる計量テキスト分析に「ハマって」おり、GoogleのTensorFlowを駆使されています。

 先に紹介した「プロジェクト研究」でも、小職と和田先生が共同で、IT企業の協力ももらいながら、大規模なソーシャルデータ分析に取り組んでいます。2020年度からは理学系研究科とも協力し、さらにパワーアップしたいと考えています。(20181226追加)「ハイブリッド・エスノグラフィー」など新たなデジタル社会学の展開を志したい、意欲的な人、大歓迎です。

 本記事を最後までお目通しくださり、ありがとうございました!