木村忠正の仕事部屋(ブログ版)

ネットワーク社会論、デジタル人類学・社会学研究者のブログです。

「失われた30年」(1991年~2020年)とは何か?~アメリカ留学からみるグローバル社会における日本の相対的位置~

2020年度、21年度、新型コロナ禍は、大学生たちの生活、活動を大きく変えてしまいましたが、「留学」は、その中でも、最も大きな影響を受けた活動の一つです。立教大学社会学部でも、留学を計画しながら、延期せざるをえない学生たちが多くいます。そこで、学生たちに、グローバル社会、異文化への関心を高めてもらうため、教員が「異文化体験を語る」連続講演会(社会学部国際化推進委員会主催)が、21年度、オンラインで開催されました。

そこでわたしも話すことになり、30年ほど前にアメリカ大学院に留学した際のことを思い出し、改めて、留学を巡る社会環境について調べる機会となりました。講演会で話した概要は、社会学部HPで紹介されています。

https://sociology.rikkyo.ac.jp/news/2021/hc09nv00000024zk.html

ここでは、そこで認識を新たにしたアメリカ大学院留学を巡る社会環境の変化(講演では時間の関係もあり十分に触れることができませんでした)を皆さんと共有したいと思います。以下の記事は、留学に詳しい方には既知のことかと思いますが、わたし自身は、自分が留学したとき、どのような社会状況だったのかを自省的に考えたことがなかったため、振り返るいい機会となり、同時に、この30年間におけるグローバル社会の変化とそこでの日本の立ち位置の変化を改めて確認する機会となったため、ブログ記事にしようと思った次第です。

 


 わたしは、学部から大学院と文化人類学を専攻したのですが、その中でも専門特殊性が高い「認知人類学」に強い関心を持っていました。ただ、日本では専門とする研究者はほとんどおらず、当該分野の中心的研究者の一人(Dr. Charles Frake)が、ちょうどスタンフォード大からニューヨーク州立大バッファロー校(SUNY at Buffalo, UB)に移動したため、UBに1990年留学しました。

 いま改めて時代背景を振り返ると、1985年プラザ合意によって、円高が急激に進み(合意前1ドル260円程度から88年には120円台まで、円の価値は3年で倍以上に)、80年代後半のバブル経済を生み出すとともに、海外旅行、留学が拡がり始める時期にあたっていました(当時は、そうと明確に自覚していたわけではありませんでしたが)。図1は、1970年~2020年のドル円レート(月次平均)と円の実質実効為替レート指数(2010年=100)を示したものです。赤枠で囲った部分が、プラザ合意からバブル景気と呼ばれる時期で、わたしが留学した(できた)のは、急激な円高があってのことでした。

 

f:id:tdmskmr:20210831104131g:plain

図1 1970年~2020年のドル円レート(月次平均、左軸)と円実質実効為替レート指数(2010年=100、右軸)

 

 高等教育留学生をみると、1989年頃から留学者数が増加し始めていることが分かります。図2は、文部科学省JASSO日本学生支援機構)、IIE(Institute of International Education、米国国際教育研究所、https://opendoorsdata.org/)、アメリカ教育省国立教育統計センター(NCES)、OECD、UNESCO、総務省人口統計からまとめたデータです。A(青線)は、その年10月現在の20歳日本人人口です。左軸、単位は百人で、1992~94年(1972~74年生、団塊ジュニア世代)が200万人を越えでピークを形成し、その後は、少子化の影響で徐々に減少し、2010年代には120万人台の水準まで下がっていきます。B(オレンジ線)は、海外の高等教育機関に留学した日本人数です。日本人留学生数は89年に2万人を初めて越え、90年代を通して増加して、2003年には8万人に達します。

 高等教育留学は、20歳だけではなく、一人が1年のみではない(数年もあれば、数カ月もあります)ですが、参考までに、その年の留学生数を20歳人口で割ったのがB/A(薄緑色の縦棒)です。これをみると、80年代1%程度が、90年代から2000年代にかけて5%超まで増加します。2008年のリーマンショックを機に実数、割合とも減少しますが、2010年代、毎年6万人程度、B/Aは5%程度で安定してきました(2020年以降は新型コロナ禍で激変するでしょうが)。

 

f:id:tdmskmr:20210831104114g:plain

図2 高等教育日本人留学関連データ  

 

 C(緑線)は、米高等教育機関への留学生(正規課程修学者)の推移です。84年にはわずか1万3千人が、89年約3万、94年4万5千と、プラザ合意からバブル期を経て急増します。米高等教育機関への留学生全体に日本人の占める割合も、84年に3.8%が、94年に10%(45万人中の4.5万人強)と最大の国・地域となりました。

 冷戦終結時、自由主義世界は、アメリカ(2.5億人)、欧州(英独仏で2億人)、日本(1.2億人)が三極を形成し、科学技術研究においても、日本はグローバル社会で主要な地位を占めていました。図3は、『科学技術要覧』による国・地域別研究者数推移ですが、1990年代までは、EU、米国、日本が3極を形成していたことが分かります。

 その後、2000年代に入り、グローバル化が進展する中で、日本社会は相対的に縮小しつつあります。図3からは、研究者数が2000年から2020年の20年間に、日本の場合1.1倍程度の増加に留まるのに対して、EU2倍、米国1.5倍と着実に拡大し、さらに中国が2.5倍と急伸する様子がみてとれます。

 2019年度、米高等教育機関は、世界各地から100万人強の留学生(正規課程修学)を集めていますが、図4にあるように、中国が35%、インドが18%と2地域で過半を占め、日本からは1.7万人と2%に満たないのです(図5も参照)。図2のD(紫線)にあるように、短期交換留学生は日本全体で10万人と増加し、D/A(20歳人口における交換留学生数の割合、濃い緑縦棒)は10%近くと、10人に一人の大学生が交換留学を経験する時代ともいえますが、正規留学生は横ばいであり、日本社会の学術研究力という観点からは、改めて正規留学生の数が増えることが望ましいと思います。

 

f:id:tdmskmr:20210831104123g:plain

図3 国・地域別研究者数推移(出展:『科学技術要覧令和2年度版』 図8-1

https://www.mext.go.jp/content/20210810-mxt_chousei01-000017284_08.xlsx

 

f:id:tdmskmr:20210831104106g:plain

図4 2019年度米高等教育機関正規留学生の国・地域別割合(出展:IIEホームページ、https://opendoorsdata.org/wp-content/uploads/2020/11/CENSUS-2020-Top-10-Places-of-Origin-for-International-Students.jpg

 

f:id:tdmskmr:20210903122131g:plain

図5 米高等教育機関正規留学生における日韓中の割合推移

 

 このように留学という観点からみても、日本社会のバブル崩壊後は「失われた30年」であり、それは、グローバル社会における相対的地位の低下という直視すべき現実です。図6は、国連人口推計にもとづき、世界人口に占める、日本、米、英独仏、中国の割合を示したものです。左軸、右軸とも%ですが、日米英独仏(折れ線グラフ)が左軸、中国(縦棒グラフ)が右軸です。中国は第二次大戦後、現在まで2割程度の規模を維持していますが、日米英独仏の5カ国もまた、1950年に15%以上、1990年でも1割以上の人口を占め、冷戦期の自由主義陣営で考えれば、これら5か国(+加、伊のG7)が中核地域を形成していました。しかし、1990年代から、アメリカは徐々に相対的に小さくなりつつあるとはいえ、世界人口の4%以上、英独仏も他のEU圏を含めれば1割程度(7億人以上)を占めるのに対して、日本社会は2%以上だったものが、1.5%以下へと減少していきます。

 

f:id:tdmskmr:20210831103829g:plain

図6 世界人口に占める日本、米、英独仏、中国の割合推移(データ出展:国連人口推計、https://www.un.org/development/desa/pd/

 

 21世紀、こうしたトレンドは、一層進むことはあっても、反転させることはほとんど不可能といっていいでしょう。では、私たちはどうしたらいいのか? 「ポストコロナ社会」という観点から、記事を改めて考えたいのですが、ここでは、留学という観点で、いまの大学生にメッセージしたいと思います。

日本社会がこれからも縮小均衡を続けることを念頭に置くと、いまの大学生には、日本という枠に囚われず、グローバル社会で活動できる力を身につけて欲しいと切に願います。人類社会、グローバル社会で、他の社会、文化の人々と交流し、自分の価値を高め、社会的に活動できる力を身につける意思を持ってもらえれば。そうした若者が増えれば増えるほど、日本社会全体の力もまた増すことになると考えます。また、若者がそうした積極性を発揮できるインセンティブを社会として提供する必要があり、教育に社会としてもっと投資すべきだと思います。

今回も、拙文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。